代表的日本人・上杉鷹山編

こんにちは。Legend of Books の熊三です。

日本が欧米列強に肩を並べようと近代化に邁進していた明治時代。日本の精神性の深さを世界に知らしめようと、英語で出版された名著「Representative Men of Japan 代表的日本人」であります。西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮という五人の歴史上の人物の生き方を通して書かれた日本人論です。「武士道」「茶の本」と並んで、三大日本人論の一冊に数えられています。現代に通じるメッセージを読み解き、価値感が混迷する中で目標や志(座標軸)を見失いがちな私達の現代人が、よりよく生きるための主軸を探し出す手がかりとなり得ることになる名著だと思います。今回は代表的日本人の一人封建領主であった上杉鷹山を中心に紹介したいと思います。

「代表的日本人」読書のポイント

1.五人の偉人伝として読まない

代表的五人の日本人と対話するように読む。

2.意中の「ひとり」を探せ

五人全員を等しく読むのは困難である。一人一人向き合い対話しながら読書するのを勧めている。例えばリーダーの素質を磨きたいと思うのであれば上杉鷹山と対話してみたりと自分の立ち位置と合う人物と長くつきあっていくといいのかもしれない。私たちは内村の言葉をたよりに「私の西郷」「私の日蓮」を見つけてよいのです。さらにいえば、私たちはそれぞれ、内村とは全く別な「私の代表的日本人」を書くことすらできるはずです。

3.ライフステージが変わるたびに読む

読者とともに育って行くのが名著である。

学生や死を前にした人であろうとも読むことで新たな発見ができる。

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上杉鷹山の生い立ち

 

 

見るという動詞に注目しよう。

鷹山編は見るという動詞に注目する。見るという動詞は古来「見えないもの」を感じるという意味がある。風を見るや味を見ると言った感覚的見るということである。莫大な負債を抱え込んだ米沢藩主になった鷹山は、はじめて米沢藩に訪れた際に荒廃した村、自然、民の悲惨を見ると絶望に襲われた。すると鷹山は、炭火を炊きあげ消えかけた炭火に辛抱強く息を吹きかけると。脈々と燃え上がってくる火を見て、荒れ果てた米沢藩をこの炭火のように息をもう一度吹きかけ改革していく決意を固めたのであった。ただ眺めて見るのではなく、目に見えない本質を見るということである。本当の原因は隠れていて目に見えるものではない探り当てなければならない。目に見えるものだけ対処してるだけでは本当の改革はできないということである。

天の王国 封建制度

この地上に天の国と言えるような国は存在したのであろう?中国神話の舜帝が治めた殷の国であろうか?唐代の太宗が治めた唐の国であろうか?

天の国を築き上げるには聖人と言われる名君なしではなし得ないことである。鷹山は封建制度の下、天の国を築き上げた。

私どもには進んだ政府機構があるにもかかわらず、天国におよばない点では、十世紀前の祖先の時代とすこしも変わらないように見える。現状は足踏み状態であるもしくは後退の方向に進んでいると発言する賢者もいる。

内村は当時の東南アジアやアフリカの熱帯地域に見られた圧政政治を批判した。

もっとも良い形態は徳のある政治である。

得に代わる制度はないと、固く信じる必要がある。徳がありさえすれば、制度は助けになるどころかむしろ邪魔になる。「進んだ政府機構」とは聖人を助けるためではなく泥棒をとらえるためです。

一種の進んだ警察組織は悪党や泥棒は抑えられるが大勢の警察をもってしても、一人の聖人、一人の英雄にとって変わることができない。一人の聖人が国を治めれば犯罪など警察なしでコントロールできる社会こそ天国なのだと思う。

 

封建制度は欠点もあるが…

明治維新を境に封建制度から立憲制度に変わるとともに日本は大きなものを失った。それは封建制度とともに結びついていた忠義、武士道や人情である。本当の忠義は君主と家臣が直接顔合わせて成り立つものである。その間に制度を入れたとしたら君主はただの統治者にすぎず、家臣はただの人民となりえる。この関係に忠義はない。憲法は争いを解決するのに文章に頼る、昔のように心に頼ることはなくなった。献身の長所は仕えるべきわが君主がいて、慈しむべきわが家臣がいるところに生じる。封建制度の長所は治める者と治められる者の関係が人格的性格におびている点である。その本質は、家族制度の国家への適用である。法律や制度は家族制度における愛の律法にはおよばない。もう一度封建制度が完璧の形で現れるのであればそれこそが理想の政治形態といえる。

人々は皆、同じ父の子でありしたがってともに兄弟であることを知る日が訪れるのであればその時封建制が完璧たる栄光に充ちたかたちで戻り、真のサムライが「敗者をいたわり、奢るものを砕く」日を内村は心から望んだ。

「学問」のいまだ西洋から伝わる前すでにこの国には、平和の道を知り、独自の「人の道」が実践され死を覚悟した勇士がイたのである。

東洋の道徳心は西洋を圧倒している。文明の波に道徳は飲み込まれたが人の心、美徳は永久に死滅せず、いつか利益を貪る戦争がこの世からなくなるのを私自身も望みます。

 

籍田の礼

農業、耕作を励ますため藩主自ら田を耕す儀式

すべてのものは自然からくるもので藩主が民に与えたのでなくすべては大地からくる。藩主もまた大地に仕えている者だと儀式の中で表現した。

鷹山の産業改革

鷹山の産業改革の全体を通じて、とくにすぐれている点は、産業改革の目的の中心に、家臣を有徳な人間に育てることをおいたところです。当時の慣習に全くこだわらず、鷹山は、自己に天から託された民を、大名も農夫もともにしたがわなければならない「人の道」に導こうと志した。

天=大いなるもの

自己に天から託された民は自分勝手に振舞ってはいけないと言うことである。現在の社会に見られる社会から蹴落とされた者たちを能力がないからといって見捨てる事は鷹山の考えにはありえないものであった。「役に立たない」と烙印をおすのはリーダーの目が見えていないと鷹山は訴える。

東洋思想の美徳

東洋思想の一つの美点は経済と道徳をわけない考え方である。東洋の思想家たちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみます。木によく肥料をほどこすのであれば労せずして確実に結果は実ります。「民を愛する」ならば富は突然もたらされるでしょう。「ゆえに賢者は木を考えて実を得る、小人は実を考えて実を得ない」

1961年第35代アメリカ大統領となったジョン・F・ケネディは、就任の時、最も尊敬する日本人は誰ですかという質問に、迷わず上杉鷹山の名前をあげました。

鷹山の死

この勤勉な節制家の人生は健康に恵まれた70年でありました。若き日の希望はほとんどが叶いました。藩は安定し、民は物に富み、国中が豊かに満たされました。全藩あげても5両の金を工面できなかったのに、今や一声で一万両も集めることができるようになりました。これを成し遂げた人物の最期が安らかでないはずがありません。文政五年三月十九日、鷹山は最後の息を引き取りました。

民は自分の祖父母を失ったかのように泣いた。階層を問わず悲しみその様は筆につくしがたい。葬儀の日には何万人もの会葬者が道にあふれた。合掌し、頭を垂れ、深く嘆き悲しむ声がだれからも漏れた。山川草木もこぞってこれに和したと伝えられています。

山川草木は生きとし生けるものすべてを表しているのである。

 

ピンチは最大のチャンスである。恐れを畏れ(おそ)に変換せよ。

畏れ:ピンチは正体がわからないが大事なものとの出会いがある。

試練を好機ととらえることで、偉大な改革を成し遂げた米沢藩主・上杉鷹山は、まず自らが変わることで、誰もが不可能と考えた荒れ果てた米沢藩の財政を立て直した。「民の声は天の声」という姿勢を貫き、領民に尽くした鷹山の誠意が人々の心をゆり動かした結果である。

 

昨今のビジネス書によく見られがちの上杉鷹山のイメージは節制、コストカットの部分だけ着目して見られるが鷹山自身は情け深く見捨てることのないリーダーであった。