兼好法師 徒然草
皆さんこんにちはLegend of Books の熊三です。
今回は、人や社会の真実の姿、人生哲学をつれづれなるままに(自由気ままに)綴った日本随筆の傑作である古典から兼好法師の徒然草の紹介をしたいと思います。
「つれづれなるままに日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしぶそものぐるほしけれ」
上記の現代語訳:退屈なので一日中すずりにむかって心に浮かんでくるどうでもいいことも文書に書いたら筆が止まらなくなった。※解釈の仕方は人それぞれである。この文は恍惚感、気持ちが高ぶり筆が止まらない状態である。学生時代古文の授業で暗記させられた人もいるのではないでしょうか?兼好の文脈は合理的かつ、多面的である、時に綴っていることに矛盾が発生したりと軽やかな(飄々とした)作品である。
スピーチに引用されたり、職場での教育につかわれたりあるいは座右の銘として生き方の参考にされたりすることが多いようです。極度の情報化社会の中で、また閉塞した未来にむきあいながら現代の私たちは誠に忙しく生きています。目先の事にとらわれ複雑な人間関係に煩わされ、将来の心配をしながらせせこましく生きているかた必読の書です。
兼好法師の生涯
兼好法師(吉田兼好)は、鎌倉時代末〜南北朝の動乱の時代に生きた。
出家前の名は卜部兼好であり、京都にある神社の神職の子として出生しました。幼少期は何にも興味を示す賢い少年でした。8才の時に仏教の真髄について父に問い詰めてみるものの、あまりにも難解な問いかけに父は言葉に詰まり笑ってごまかしたという。
20代になると朝廷に仕えるようになった。そこでは皇位継承や財産をめぐり多くの争いが起きていた。宮司をしながら皇室の暮らしを間近で見ていた。後二条天皇下での宮廷和歌四天王として数えられ、初めは天皇に仕えるため帝王学の教科書として徒然草の随筆をしていった。
30代になると後二条天皇が崩御すると出世の道を絶たれ、出家した。それ以降、自分が思うままに徒然草を随筆し庶民向けの書籍へと徐々に変化していった。文を書く才能豊かではあったが彼自身は平凡な人生を送った。器用貧乏とも言えるような人であり神社の宮主にはなれず、皇室では下級貴族の出身で出世の道を絶たれ、出家をするも瞑想とあおがれることなす、職業を転々とし存命中は大成することはなかった。実際、書いた当時は注目されず江戸時代に書かれた注釈書によって注目された。しかしながら、幸いにも何事にも一点に重きを置かなかった事は彼の発想に自由を与え世の中を見通したことで後世で注目を受けた。徒然草は現代でいう個人ブログ、ツィーターで投稿したものを寄せ集めたエッセイのようなものであり、時代の流れとともにそのまま埋もれてしまってもおかしくなかった最中、偶然にも発見され奇跡的に名著となった。
第一章 心地よい人付き合いとは?
兼好は、たとえ仲のいい間柄でも、時には改まった態度を示すのが良いと記した。人間関係では、お互い気を遣わなくなった時に落とし穴がある。
人間の弱さを熟知した兼好流の気配り術を学ぶ
「おなじ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、ひとりある心地やせん。」
現代語訳:同じ心でいられるような人といろんな話をして心慰められるのは嬉しい、しかし世間話でも本音で言い合えるそんな人がいない、相手に逆らわないように演じると一人でいるような孤独を感じる。兼好は友人にはしてはいけない悪き人を述べた。彼にとって下記のような人たちとの交流は気を張ってしまって相容れない存在だったのかもしれない。身分の高い人 若い人 体が丈夫な人酒好き 勇猛な武士 嘘つき 欲深い人であった。
- 親しき仲にも礼儀あり
たとえ仲の良い友人でも時に改まった行動が必要
「さしたることなくて人のがりゆくはよからぬことなり…(中略)そのこととなきに人の来りてのどかに物語して帰りぬるいとよし」
用もないのに人を訪ねるな、そこに長居するな、しかし人が訪れてきて語り合うのは心地が良い。人がみずから訪ねて来るということは必要とされているということだからであろう。
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新鮮な人間関係を保とう
馴れ合いになれば距離をおき、疎遠になると近づいて互いに新鮮な関係を保ちましょうと人付き合いのツボを述べた。また人の心は移ろいやすく永遠に続くことはない、別れはこの世の習わしと説いた。そのことから兼好自身は、無情を悟ろうとするも俗世とのつながりを捨てきれなかった。
「朝夕へたてなくなれたる人のともある時我に心おきひきつくるへるさまに見ゆること今更かくやはなどいふ人もありぬべけれどなほげにげしく良き人かなとぞ覚ゆる」
朝夕隔たりなく慣れた人とともにある時、ふとした時に自分に遠慮している、また相手方がこちらに遠慮してかしこまった様子に見えるのは本当に誠実でいい人だと感じる。世間では今更そんなにかしこまなくてもと思っても私は親しい人が少し遠慮するのはいいと思う。馴れ合いの果てに遠慮のないずうずうしい人間関係に変わるのを嫌った一面、疎遠になった人がまた打ち解けてくれる事を好んだ。
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兼好法師の恋愛に対する観点
「妻といふものこそをのこのもつまじき物なれ女の性は皆ひがめり」
女の性根は腐っているから世の男性諸君妻は持つな女性に批判的な言及していると思えば下記の文は女性の魅力についても深く言及していていささか矛盾を感じるのも徒然草ならではの軽々とした
その時々の感想、意見を述べた随筆作品ゆえであろう。
「もし賢女あらばそれも物うとくすさまじかりなむただ迷ひ(血迷い)をあるじとしてかれ(女)に従う時やさしくも、おもしろくても覚ゆべきことなり」
男性は女性の魅力に抗うことができないと言及した。
「その人の心になりて思へば誠に悲からむ親のため、妻子のため、恥を忘れ、盗みもしつべきことなり」
家族愛に触れいいかげんな気持ちで家族を持つなと述べました。
第二章・上達の極意
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人を模倣して世にでろ
上達したいと願う時には、形だけでもいいから達人の真似をすることから始め、人前に出ることを恥じるなと述べた。そして心から大事だと思っていることは、タイミングに関係なく今すぐ舵をきれと述べている。本当にしなければならないことを客観的に見つめる冷静さをもって人生は一瞬一瞬の積重なりであり、同じ事は二度と起きない。毎日に緊張感を持って生きることが、自分を高めることになると兼好は述べた。
「されば一生のうちむねとあらまほしからむことのなかにいづれかまさるとよく思ひくらべて第一の事を案じ定めてその外は思いすてて一事をはげむべし」
一生はあっという間であれもこれもと欲張って大事なことが後回しになってはいけない、優先順位をもつことが重要だと述べた。
「能をつかむとする人「よくせざらむほどはなまじひに人に知られじうちうちよく習ひえてさし出でたらむこそいと心にくからめ」と常にいふめれどかくいふ人一芸もならひうることなし」
上手くなるまで人に見せまいとする人は一芸も修得かつ上達できない。
驥(き)を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
一日に千里走る名馬に学べば、その馬は同じように一日千里を走る。聖王の舜(古代中国の皇帝)を真似したら舜と同様の名君になるだろう。偽りでも賢さを真似したら、その人を賢と言うべきだろう。真似でもいいから行動に示せということを述べています。
心は縁にひかれて移るものならば閑かならでは道は行じがたし
人の心は縁に惹かれやすいものだから静かな環境に身を置いて自己鍛錬をするために、環境づくりの大切さを述べています。
あやまちはやすき所になりて必ず仕る事に候
何事も難しい場面では最大限の警戒感を持つが簡単な場面では詰めが甘くなり失敗しやすい。
安心は失敗のもと、そして完璧は破綻の前兆だともいう。
初心の人二つの矢を持つことなかれ
二つの矢を持っているともう一つ矢があるからといって油断が生じる。
勝たむとうちべからず、負けじと打つべきなり
勝つことばかり考えると焦りを生じるので負けないように対策を打つべきである
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上達を志すうえで心がける事
やがてかけこもらましか博打をしからまし後まで見る人ありとはいかでか知らむかやうのことはただ朝夕の心づかひによるべし
品性のある行いを心がけ内面を磨くべし、誰も見ていないところでの美しい行動を保つ。
かしこげなる人も人のうへをのみばかりて己をば知らざるなり我を知らずして外を知るとふ断りあるべからず、されば己を知るをもの知れる人というべし
知識を得るばかりでなく汝を知れ、偏りのない考えを持ち平衡を保つべし。
第三章・世間を見抜け
世の中、いわゆる「世間」というものは、うっかりしていると、あらぬ噂を立てられたり、笑いものにされたり、食い物にされたりする恐ろしいものである。そんな世間にふりまわされて嫌な思いをしないためには、どうしたらよいのだろうか。兼好は、自省を怠らず、自分自身を様々な方角から見つめ直すことを勧めた。世間という目には見えない“魔物”に対峙する心構えを解く。
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不幸を招く「知ったかぶり」と「付和雷同」
「この御社(みやしろ)の獅子の
立てられやう
定めてならひあることに侍(はべ)らむ
ちと承(うけたまわ)はばらや」
とはいはければ
「その事に候 さごなきわらはべどもの
仕(つかまつ)りける奇怪に候ふことなり」とて さしよりて 据ゑなほしていにければ
上人の感涙いたづらになりけり 第二三六段
ある上人がその弟子達を連れて丹波の由緒ある神社を訪れたとき、狛犬が背を向けて置かれていた。それを見た上人は何か特別な意味があると豪語した。それに気づかなかった弟子たちをあざ笑い、弟子たちは上人の観察力を褒めるのだが、そこに神官が現れるとそれはただの子供のいたずらで狛犬が背を向けていた事が発覚した。2種類の人間の愚かさを描いたストーリーです。
「知ったかぶり」の上人は自分は教養人だと思い込み弟子たちの目があったのでつい先走った論点を明かしてしまい、一方で「付和雷同(考えもなく他人の意見に同調)」の弟子たちは自分の無知・無教養をさらしたくないと思ったばかりにとこれらの過度の自意識が招いたものである。
世の人あひあふ時 暫くも黙止することなし
必ずことばあり そのことを聞くに
多くは無益の談なり...(中略)
これを語る時 たがひの心に
無益のことなりと いふことを知らず
第一六四段
世間の人は黙ることを知らない、かならず何かしらの会話をしている。それはほとんどが無駄話(陰口、差出口)であるという。お互いそれが無益の事を自覚するべきと述べた。
我らが生死(しゃうじ)の到来
ただ今にもやあらむ
それを忘れて 物見て日をくらす
おろかなることは なほまさりたるものを
第四一段
人はどんなときも死と隣り合わせあるにもかかわらず、世間の人はそのことを忘れて他人をあざ笑っていて愚かであると兼好は述べた。
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うそは世間の常
愚者の中の戯(たわむれ)だに
知りたる人の前にては
このさまざまのえたる所
詞(ことば)にても顔にても
かくれなく知られぬべし 第百九四段
愚者のちょっとした戯れ事のような嘘をつかれる人の言動やその顔つきは、健全たる判断力のある人の前において嘘をつかれる人もまた愚かであると嘘をつかれる側の人を否定した。
その対処法として
世に語り伝ふること まことはあいなきにや
多くは皆虚事なり(中略)
筆にも書きとどめぬれば やがてまた定まりぬ 第七三段
世の中にある情報は多くはほとんど嘘だと思えと述べた。またその情報が文字化されてしまうことで世間にそれが定着しさぞ本当の事のように感じ騙されてしまう。
我が智をとりででて 人に争ふは
角あるものの 角をかたぶけ
牙あるものの牙をかみ出すたぐひなり
人としては善にほこらず
物と争はざるを徳とす
他にまさるこのあるは 大きな失なり
第百六七段
知恵を蓄えて判断力を養う必要があるものの、自分の知識に見栄をはり人と争い事を起こすのは角、牙ある動物の獣の争いである。人として善に誇らず他人と争わないことを美徳としよう、他人よりも勝ることは多大なる過失である。
兼好は自分を賢いと思うことが愚かなことであると述べた。知ったかぶりや陰口を言う人、自分のほうが優位に立っていると思い込んでいる人、自分の能力に自惚れている人たちは自分が主役でないと気がすまないので嫉妬してみたり、議論に挑んでみたりと徳のある人は獣の争いは避けている。世間はうぬぼれと見栄の集合体である。
第四章・人生の楽しみ方
命は人を待つものかは 無常の来ることは
水火の攻むるよりも速やかに
のがれがたきものを その時 老いたる親
いときなき子 君の恩
人の情捨てがたしとて 捨てざらむや
第五九段
無常は死を指し死は人間の都合を待ってはくれず突然と来る、水や火が襲ってくるよりも速く逃れることはできない。
万(よろず)の事は頼むべからず
(中略)
寛大にして きはまらざる時は
喜怒これにさはらずにして
物のためにわづらはず
第二一一段
全ての事は当てにならないが卑屈になることなく心を広く持つと喜怒に左右されることなく外の物に煩わされることもない。